HITOMIと英語

私の留学の動機が90210なのはあまりにも有名な話だけど...
ただそれだけじゃないって皆さんに知っていただきたいのです。

私が英語とであったのは母に連れられていった家から5分の英会話学校です。
その時多分私は幼稚園の年中さんとかそれくらい。
アパートの一室を英会話教室にしてあって、近所の子供が沢山居たと思います。
私の両親は教育熱心で私は幼稚園の頃から塾にもずっと行っていました。
きっと母はそのノリで私を英会話学校に行かせる事を決めたのでしょう。
何を習ったかなんて覚えていません。
ただ先生に会った時に言う "Hello. How are you?"だけは覚えていました。
人見知りの激しい私だったけど会った人にご機嫌いかが?
なんてきく習慣が気に入っていたと思われます。
でもいつのまにかやめてしまいました。一体なぜかも覚えていないんだけど。
塾には行きつづけていたんだけど...きっと小学校受験のせいかしら?

でも小学校受験に失敗してしまいました。
私が志望していた学校は某国立大学付属小学校。
倍率も高くて抽選もあるような学校でした。
では私は一体なぜその学校に行きたかったのでしょうか?
答えは簡単です...制服が好きだったのです。
制服って言うか...制帽。
博士さん帽子だったんです。
今考えると一体私は何を考えていたんだろう?って思いますがあの頃の私には
あの博士帽のついた制服は魅力的で仕方がなかった。
どうやら私はいつもその事を口に出していたらしく両親もほんとうに残念そうにしていました。
多分生まれて初めて味わった挫折はその時でしょう。
ほんとうに悲しかったんです。
んでなぜ博士帽が留学と関係あるかって?
まあ待ってください。

まあそのまま地元の小学校に進んだ私は数年英語とは全く無縁の生活をしてきました。
初めての海外旅行はお決まりのハワイでした。
おじいちゃん、おばあちゃんに弟と私の4人でグループみたいなのに入って行きました。
まったく英語なんてわからないし、パックの旅行だから何もしなくてよい。
特に英語とふれあいのない旅行でした。

次にやってきた海外旅行のチャンスは4年生くらいのときだったと思います。
姉、弟、父に私の4人でタイ、プーケットにあるClub Medに行きました。
行った事ある人は知ってると思うんですがClub Medはリゾート地一体が一つの小さい
コミュニティーみたいになっててそこの従業員さんはとてもフレンドリーなんです。
会ったら気軽に声かけてくれて滞在中に仲良くなったりするんです。
そういうリゾート地って共通語は英語なんですよね。
ここで私は初めて英語の必要性を感じたのです。

オプショナルプランで島々を回るみたいなやつがあってボートに乗ってあっちこっち行くわけです。
ある島で海辺に下りるためにはもう一つの小さいボートに乗り換えなければなりませんでした。
私はその大きいボートから小さいボートに乗り移るのが怖くて泣いてしまったんです。
周りにいたのはタイ人の運転手さんなど。
ただ私より色が少し黒いだけで同じアジア人ですよね...
でも彼らは仕事柄英語話すわけですよ。
それで私を励まそうとして何か言ってくれてるんだけどわからない!!!
すごく歯がゆい思いしました。
プーケットにいる間何度もそういう事が起こり私はふつふつと英語が話せるように
なりたいという気持ちを強くさせていったのです。

多分私が5年生か6年生のとき。
姉がはじめてアメリカにホームステイをしに行きました。
夏休みが終わり帰ってきた姉が持ち帰ったアメリカからのお土産の数々。
色とりどりのペンや可愛い髪飾り。美味しいお菓子に楽しそうな写真。
ここで私の海外で暮らしてみたい!って言う願望が一気に生まれました。
私が今まで育ってきた環境とはまったく違う世界があること。
それが私の興味を引いたのです。
私の姉も海外にとても興味がありそれが私を益々刺激しました。
姉からたまに単語教わったりして私のアメリカへの憧れは一気に加速していったのです。

6年生のときもやはりClub Medで...今度はニューカレドニアに行きました。
いろんなアクティビティーがあるのにいまいち乗れない...なんで?
英語が話せないから。ジョークが分からないからいまいち面白くない。
この時ほど切実に英語が話せたら...って思ったことはなかったですね。

4月、私は某大学付属の中学校に入学。
国際科なんていうやけに立派な名前のついた学校です。
この学校の特色は普通の中学校より英語の時間が多いこと。
まあ偏差値は低いけど私的には大満足。
外国人の先生と英会話のクラスとかもう刺激びしばし☆
英語の授業はかなり張り切ってた私。
そしてこの頃90210とであったのです...
あの時は毎週土曜日6時くらいにやってて家族が他の番組見ようとするの阻止して見てました。
ちんちくりんな中学生だった私...
とっても大人っぽい90210の役者さんたち。

あ〜素敵。

ほれました。
私も英語さえ話せればあんなになれる!
ってなにか大きな誤解をしつつ憧れを膨らませていったのです。(笑)

ちょうどその頃ポワとも知り合い彼女も彼女のお姉さんもかなりの俳優通で
色々教えてもらいました。
アメリカのTeen雑誌とか日本で買ったら1500円くらいするのに買ってたし。
なけなしのお小遣いがパーです。
1ページ1ページなめるように見てました。
辞書とか使って必死になって読んでるからあまり娯楽の意味はないんだけど...
毎月すごく楽しみにしてて洋書が沢山置いてある本屋さん見つけては学校の帰り行ってました。

そこである日私は気づいたのです...
アメリカの高校って卒業式にガウン着て博士帽かぶれるってことに...
いやん☆やっと私の夢が叶う場所が見つかった。
小学生のとき果たせなかった夢を高校卒業式で果たすべし!!!
私は留学するしかないね。
(じつはまだこの夢叶ってないんですが...)
私はアメリカに行くしかないでしょ?と思い父に猛烈プッシュを始めたのが中学2年生くらいの頃。
あれからもう10年近くも経ってます。
今も若いけどあの頃はもっと若かった。(笑)
まあ私はアメリカにいるわけでも卒業式に博士帽かぶれたわけでもないけど
英語話せるようになりたい!!!っていう夢は叶いました。
大学の卒業式ではガウン着て博士帽かぶれること確認済みなんで...
私の15年以上の夢が叶うわけです。

今思えば私のそばには英語が側にあったわけではないんです。
初めて英語と出会って20年が経ったわけだけど私をこういう環境に置いてくれた父に感謝。
彼は始めは私の留学には賛成ではありませんでした。
でも国際人にならなければといって色んなところに連れて行ってくれたし
そのおかげで私は刺激ビシバシ受けたし。
結構矛盾してる父である。
こうやって自分で振り返ってみると英語を意識した生活は結構前から始まっていたんですね。
自分でも気づきませんでした。
アメリカ映画やテレビに影響されまくりな私の人生だけど...
まあこれもありでしょう?
なんだかんだ言って私は目標を達成できたんだから
終わりよければ全て良し。
今日もポジティブに行きましょう。

そして只今私は中国語に夢中...
だって中国語、英語、日本語話せたら地球上の半分くらいの人と話せるやん?
ふふふ、その内中国留学HPとかしてたりして?
まあそれはまた今度のお楽しみ☆

 

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