始まり 留学前の私 語学留学するわけでもなく交換留学のように1年と言うタイムリミットが あるわけでもない高校正規留学。 傲慢に聞こえるかもしれないけど自分の英語力には自信を持っていた。 日本での英会話レッスンでは先生とジョークを言い合えるくらいの英語力を身に 付けていたし、「私なら大丈夫」なんて妙な自信をもっておりました。 自分がどんな境遇におかれるかあまり考えずに日本を飛び出せたのは16歳という若さ のせいだと思う。(まあ今でも若いけどもっと後のことを考えてしまう今日この頃) 自分の可能性を信じきっていたし「失敗なんて私の辞書にはないのよ!」ってな状態だった。 聞いたことのある体験談は全てサクセスフルなものだったしあまり何も考えてなかったんだよね。 カナダに行けば90210のような生活が私を待ってる!って大きな誤解を持ちながらカナダに やってきたのは1997年のことでした(笑) カナダ到着 6月から9月まで3ヶ月間私は語学学校に通ったんです。 学校内でも16歳って一人でカナダに来てる子はいなかったから皆私のお世話をしてくれたし いつでも助けてもらえた。 語学学校の内容も会話やプレゼンとかシンプルかつ楽しい内容だったから何も苦しい思いはしなかった。 私はすっかり「トロント通」になったつもりでいたんだ。 自分一人でここまで育ってきたかのように振る舞い「なーんだ結構大丈夫じゃん?」って思ってた。 あんまり何事にも感謝しない子供だったと思う。 今から考えればナイーブだったんだなぁって感じ。 9月から新しい学校での生活なんてまったく平気!って大きな誤解をしておりました。 自分がどんな目に遭うかもわからずに呑気に夏休みを過ごしたのです。 1997年9月 祖父母と一緒にLakefieldにやってきた。 そこで私は一気に固まったしまった。 人見知りの激しい子供の頃の私が復活してしまった。 私を個人的に知ってくれている人は「私が人見知り激しいねん」と言っても こいつ何寝言言ってるねん?って思うらしいが、それは全くのうそです。 私はピザ屋さんに電話をするのも拒むくらい人見知りが激しい子供でした。 自分でもすっかり忘れていた一面が急に飛び出し自分でも「どないしよう」ってあせった。 私は気心の知れた相手にはかなりハイテンションに接することが出来るけど新学期とかは苦手なんだ。 今まで引越しとか転校とかもしたことないしね。 小学校は6年間たった60人という小さな学年だったし中、高も小さな学校でぬくぬくと育ってきたから 人見知りをする必要がなかったんだ。 でもLakefieldに着いたとたん私の性格が激変してしまったような気がした。 言葉が話せないから人見知りをしてしまう、人見知りをするから言葉が話せない…両方だったと思う。 入学手続きや履修登録をし終わるときには私は精神的につかれきっていた。 もちろん先生や周りのシニアはとても親切だったけどイマイチ安心できなかったから。 作り笑いで私の顔の筋肉は疲れていたし、やっぱり会話に集中しないと聞き取れない言葉が沢山あって 「これから私はどうなってしまうんだろう?」っていう不安がぬぐえなかった。 期待に胸膨らませていた自分は何時の間にかどこかに消えてしまいいつの間にか私はオドオドしてたと 思う。きっと私の不安な気持ちは周りの人にも伝わったと思う。 だって寮のアドバイザーに初めて会った時「そんなに不安そうな顔しなくても大丈夫よ」って やさしく言われ握手したこと今でも覚えてる。 祖父母を心配させまいと気丈に振舞おうとしてたんだけどやっぱり不安だった。 マッチ箱のように小さい部屋もルームメイトも新しい出会いも、いつの間にか嬉しい気持ちは 消えていきまだ学校も始まってないときから日本に帰りたい!って思ってた。 祖父母が学校を後にしたとき思わず「私もやっぱり日本に帰る!」って言いそうになったんだ。 今まで甘えさせてくれた人が回りから全部いなくなって自分で1から始めるのは初めてだったから。 もしかしたら私はとんでもない行動に出ようとしてるんじゃない?って 留学の事の大きさをやっと実感したんだと思う。 留学なんて無謀な行動に出ずホームステイとかで満足しとけばよかったーって真剣に思いました。 多分この7年間で一番自信がなぁった瞬間だと思う。 その日はご飯が喉を通らなかった。 はじめの1週間は不安で不安でこの私がご飯を食べれない状態だった。 3kgも一気に体重減ったのなんて後にも先にもこれっきり (何時の間にか私の神経は太くなってどこで何をしてても心配するのは「今晩何食べよう?」やし) 次の日からの授業は私の英語力のなさをますます痛感させた。 ・・・続く・・・ |